2009年7月 4日 (土)

国家転ぷく、(追記アリ)

をマジで考える五秒前。

いや、歯科医院の門前での葛藤です。

それがダメなら、いっそパラレルワールドへ飛びたいっ!青豆っ!

直近で18年前の歯科医の恐怖をぷるぷると思い出す。

予約の決心だけでも二週間かかった。なのに当日になって日和りまくる。

まあ、しかし、そこはいい年をした大人なので、バッチいってこ〜い。

診察台にあがると、「口を大きく開けてください」と言われ、反射的に口をぎゅっと閉じてしまった。イヤです。怖いです。

帰ります。

まあ、しかし、そこは大人ですから、開けたわよ。

口の中をぐるりと見渡した矢崎滋みたいな先生は、言った。

「この治療は、外国でされたんですか?」

は、はんれすか?

丸く開いた唇をひきつらせながら訊く。

「前にされた治療は外国だったんですか?」

その瞬間、“矢崎”先生のいわんとすることを察し、一気に親近感がわきあがる。

レントゲン撮影をした後、先生は、小型カメラを私の口の中で作動しながらモニターを指して、

「ほら、この歯、かぶせもの下から黒くなってるでしょ。まずこのかぶせものを取りましょうね。……それで、もう一本の歯のほうなんですが、申し訳ないんだけれど……」

本当に申し訳なさそうに、今度は先ほど撮ったレントゲン写真のほうに注意を促す。

「かぶせものの下で、歯の根元がふたつに割れちゃってます。疲れたら腫れませんか?ごめんなさいね」

いえ、先生はちっとも悪くないです。

「割れた根元のいっぽうはもう死んじゃってるけど、もういっぽうは生きてる。まだ助けられるかもしれない」

救命救急24時!ほど切羽詰まってませんが丁寧な説明を聴くうちに、「外国で治療したの?」の問いが頭のなかで何回もリピートする。

そうだろうな〜、やっぱりな〜。だって血みどろだったもん。火傷もさせられたし。

まさに、未開地歯医者。ありゃ、親がおカネを積んで入学させたクチだな。いまさら恨みに思ってもしようがないけれど。

家に帰ってブリ母に報告すると、

「やっぱり〜!?あそこの病院酷かったもんね!お兄ちゃんなんか治療後に何日も膿が出て可哀そうかったもん!やっぱり口コミってアテにならんよね〜」

ナゼ行かせるっ?!

ブリ母を責めるのはお門違いだが、“矢崎”先生の「ごめんなさいね」の一言が妙に懐かしいブリジツトです。

久々に訪れた歯科医院はいろんな最新機器がたっぷりあって、なんか自分が鉄腕アトムになった気分になれて、けっこう面白かったです!また行きます。

【追記】

治療中、私はかなり恥ずかしい患者でした。

「痛いときは手をあげてください」といわれ、一回だけ手をあげました。先生は、

「痛かった? ごめんね、ごめんね」

と一生懸命謝ってくれたのですが、私の答えはというと、

「す、すいません。舌がつってしまいました……」

(ウィーンの治療中、舌の所在がわからなくなって一生懸命巻いて喉の奥のほうへ収納したところ、舌の裏がつってしまった _| ̄|○~)

先生は、言いました。

「歯医者さんはあまり慣れてないのかな?」

私は、答えました。

「前のところが……怖かったから」

すると、助手の女性と目を合わせてぷっと吹き出した先生は、

「うん、痛くなくても手をあげていいですからね。とりあえず口ゆすぎます?」

それからも治療は続行したわけだが、みなさんは舌、どうされてますか。

私は、怖くて巻かずにはおられませぬ。

【追記2】

この歯科医院、窓口の女性がたいへんファンキーで、麻酔を用いた治療後、「あのう、今日はやっぱりお酒はやめといたほうがいいですよね」と弱気な私に対して、

「酒? お酒はオッケーよ。(歯を)抜いてない限り、じゃんじゃんいっちゃって!!」

と華やかに笑いました。

じゃんじゃんって・・・・。

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2009年7月 3日 (金)

そのスケールに難あり

ああ、

と思う。麻生首相のことなんですが、

金持ちだ、とか、生まれはいい、とか言ってるけれど、その実は、

ちっちゃいわ〜、

貧乏性というか、みみっちい。

定額給付金のときに「あれ?」と首をかしげ、今回の一部人事で確信したのは、

精神構造がまったくもって「貧乏人の銭失い」。ホンモノのお大尽になりきれぬ大臣である。

別に極端なことをやってのけろというのではなく、大言壮語を吐くわりにずいぶんスケールの小さいところでお茶を濁してるなと気づかされ、おぼっちゃま首相、シニカル首相と続く日本はいま、とてつもなく小規模首相を頂いている現実に、ふうと溜め息するのである。

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2009年6月29日 (月)

せ、せつなっ

夢をみました。あいかわらず総天然色。

私はさる国の女王付きの侍女で、寝室も一緒で、お忍びにも同行する秘書件護衛みたいな感じ。

ある日、言付かった買い物に市中に出ていると、集会に巻き込まれ、身動きが取れなくなってしまう。それが反王政の集会で、参加していると間違われた私は、不穏分子として追われることに。

「ちがうのに〜」と思うのに、半ば運命だと諦めようとするのですが、

でも、お城に、お城に、

好きな人がいたのです!

その人は国王夫妻の執事でかつ護衛仲間。彼にだけは会いたくて、濡れ衣だと知らせたくて、危険をおかして城に忍び込む意外に身軽なブリジツト。

彼の部屋は不在で中で息を潜めていると、上着がハンガーからパタッと落ち、あわててかけなおす。その音に気づいた彼が部屋に入ってくる。

会いたかった!本当はちがうの、真相はこうなのよ!
彼のもとに駆け寄り、思いの丈をぶつけると、ギュッと抱きしめられ、

つぎの瞬間、

守衛を呼ばれてました。

せ、せつな〜。売られとるっ!

これは前世の記憶でしょうか。

いえいえ、大捕物が始まる前に、私、特技のフライング(空が飛べる)&新能力の透明人間化で逃げおおせましたので、違うと思います。

それにしても、せつない夢やねん。

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2009年6月28日 (日)

その後は、

その後は、
ワインバーで〆め。ちゃんとサザエさんまでに飲み終える大人飲みな日曜日でした。

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歌丸さんの

歌丸さんの
歌丸さんの
横浜橋商店街をたずねて、中華惣菜店でオロロさんとビール瓶二本。その後、横浜駅に河岸をかえて、焼き鳥と日本酒&ハイボール!

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横浜あるき

横浜あるき
横浜あるき
横浜あるき
雨なので趣向を変えて酔いどれ記

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2009年6月26日 (金)

転身

戦後、巣鴨プリズンを出所した祖父は、地元に戻り警察官になった。

ということは、知っていたのだが、先日、スクラップブックの中の封筒に発見した<私の生涯の記録>には、箇条書きで次のように書いてあった。

<一、遠縁に当たる大阪に出て薬局製薬に十五年間。支那事変応召により召集解雇の時に閉店していたので退職(二万円退職金を姫路市本町三木三郎医師より戴く)。

二、退職後、兵庫県警察官として十五年間勤務し、その間太平洋戦争に応召、陸軍衛生曹長終戦>

つまり、支那事変の召集解雇を受けて、長年、勤めた店に戻ってみたならば、

「……の、のうなってる!」(なくなってる!)

という驚愕の展開が待っていた。丁稚奉公から始めて、薬種商免許証の資格も得、店では若くして番頭格にまでのしあがったのに、戦争から帰ってみれば、すべてパー。

当時、大学卒の初任給が百円の時代、退職金二万円というのはけっこうな額である。誠意を尽くしてもらったといっていい。

ひとり身ならその退職金を元手に商いをはじめることもできたかもしれない。しかし、そのとき、祖父には家庭があった。前線に出ていたとき、親戚らによって決められた、おそらく意に添わぬ結婚であった。

祖父の兄と、祖母の姉が婚姻関係にあり、自分たちの年頃の弟妹に所帯を持たせようということになったらしい。以前に面識があったのかは知らないが、いわゆる「写真結婚」に近い状態である。

祖父には密かに思い人がいたが(どこかの看護婦さんだったそう)、この時代、親兄弟の言葉は絶対ということもあり、それに従った。しかし、忸怩たる思いもあったのだろう。あってはならないことだが、それを結婚したばかりの祖母にぶつけた。

なんと、看護婦さんに宛てた結婚報告の手紙を、祖母に書かせたのである。

当然ながら、このことを祖母は後年まで忘れなかった。ブリ母いわく、「おばあちゃんにだって、忘れられない人はおったんよ」。

女学校時代の祖母は文学少女で、国語担当の青年教師に求婚されたことがあったそうだ。もちろん、時代が時代だけに、いきなり交際うんぬんに発展したのではなく、ある日、青年教師が祖母の実家にやってきて、「お嬢さんが卒業したら、お嫁にください」と頭を下げたのだ。

答えは「否」。理由は、「教師たるものが……」という高尚なものではなく、祖母の姉がまだ嫁いでおらず、つまり上がつかえているから、末娘はやれん!と断わったらしい。その祖母の姉というのが、まあ、なんていうか……、なかなか「おかめ」で貰い手がなかったのだという。青年教師に淡い恋心を抱いていた祖母の夢は、なんともシビアな事情により、目の前で崩れたのである。

……とかように、内心、憂うところある二人が、戦争をきっかけに、夫婦(めおと)となった。なんとしても働かねばならなかった祖父が選んだのは、警官だった。

しかし実際に、戦前、警官として実働していたのは、わずかだったのではないかと思う。ああ、いま気づいたけれど、先に紹介した松本清張の本で、清張は召集当時、新聞社の版下職人でその給金によって郷里に残した家族たちがなんとか生活できるだろうと安堵したというくだりがあった。祖父も同じような理由で、自分が戦地に赴くことになっても、確実に家族にサラリーが行き渡る仕事として、選んだのかもしれない。

結婚の翌年、長男が産まれた。しかしその子は生後8時間で亡くなった。

さらに翌年、長女が誕生する。ブリ母の姉だ。時を前後して、太平洋戦争勃発により、祖父は再び召集される。

戦争は、人生のあらゆるものを奪う。

祖父の愛した人、愛された人、あったかもしれない結婚、あったかもしれない未来……。

さまざま人々の、あらゆるものを奪ってゆく。

巣鴨プリズンで拘留されていた祖父は、祖母宛てに手紙を書いた。

「○○(長女の名)は、元気か?」

望まぬ結婚から始まったとはいえ、そこには家族の絆が芽生えていた。

運命という大きな異物を、祖父はどこかの時点で飲み込んだのだろう。

もちろん、祖母も……。

ともかく、祖父が警官人生を本格的にスタートさせたのは、戦後とみていい。

その歩みは、途中まで佐々木譲著『警官の血』を彷彿とさせる。

スクラップブックに遺された警察勤務関連の辞令・文書は、昭和24年12月28日付けのものが最初だ。肩書きは巡査部長で、警備交通課を命じられている。実際には、それより前に復帰しているはずだ。先にも書いたが、ブリ母が昭和23年生まれなので、その前年には戻っていると考えられる。

次の文献は、修了証書で、昭和26年7月28日のもの。兵庫県第二警察学校長より、

<右は本校本科第二次現在教養警備特科の課程を修了したことを証する>

とある。以降、年を追っていくと、

昭和27年10月1日付、<月棒十級一号(一三、五〇〇円)を給する>

昭和28年6月13日付け<修了証書 右は本校外事警察専科の過程を修了したことを証する>

とある。この頃を振り返った、メモは二つ残っている。

一枚目のものは祖父自身の記憶なのか、第三者の経験を描いたのか定かではない(ちなみに母はこのメモは祖父のものでなく、祖父の同僚だった人が思い出として書いてくれたものだといっている。たしかに収蔵位置も違うし、このメモのみ横書きなのだ。しかし、筆跡が似ているように思うので誰が書いたものかは保留したい)。

<戦後間もない時、おばあちゃんが娘や孫に食べさすために 一斗位の米袋で田舎で取れた白米を背中に負い「ネンネコ」を着て神戸電鉄の湊川駅を降りた時 袋の破れから米がコボレたのを巡査が後からそれを見て、「おばあちゃん 赤ちゃん子どもが小便しているよ」と云って立ち去った ほんとうにあった人情警察のお話です おばあちゃんはびっくりして その場に坐ってしまいほろほろ泣いていたそうです>

二枚目は、<私の生涯の記録>の一節より、

<一、終戦後 明石市警察官時代 天皇陛下及秩父宮妃殿下、高松宮ご夫婦の身辺護衛に選ばれたこと>

とある。事実、昭和25年7月と裏書きされた写真には、秩父宮妃殿下の後ろで護衛するスーツ姿の祖父がいる。ちょっと出っ歯で、目は鋭く光っている。

薬商から、警察官へ。

思いもよらない「転身」――。祖父はすべてのかたまりを飲み込んで、群集に囲まれ、すっと立っていた。

                                              (つづく)

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2009年6月25日 (木)

そのワナの意味が…

終電間際に帰宅。

夕食があまり食べられず、小腹がすいていたところ、

ブリ母が肉厚で美味しそうな小判型のさつま揚げを出してきた。

うれしいな~、本当は食べないほうがいいんだけど~。がぶりとかぶりつくと、

ジャリッ、

という音がした。えっ?まさか……、

とイヤな予感がしたとたん、口内に広がる、冷たい歯にしみる感覚……。

「なんか、これ中のほう凍ってない?」

「あ、もう凍ってた? 今日買ってきて冷凍庫に入れたところやったから、

まだ大丈夫かと(思ってた)」

なにかのワナですか _| ̄|○~

己が体からスーッと力が抜けていくのが、わかった。

これは、人生修行という旅半ば、

油断するなよ、というメッセージなのだと解釈することにする。

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2009年6月22日 (月)

警官の血

写真は帰りの新幹線で食べた、酒田の「海鮮どんや とびしま」の海鮮丼。

http://www2.ocn.ne.jp/~sugasen/tobisima.html

時間がなかったので、お願いして持ち帰りにしてもらいました。

なんで、時間がなかったかというと、

パトカーに捕まっていたからです!

マジで。

先の話の続きですが、赤いアレをぐるんぐるんまわした覆面パトカーにピタリと後ろをとられ、路肩に寄せて止めるように指示された一行。

一瞬、ブリ母、逃げるんちゃうか。

と心配になりましたが、ちゃんと止めた。ほっ。

後ろの車から、ヘルメットをかぶった警官が降りてきて、ブリジットの座る助手席の窓をこつんこつんと叩きます。

窓を降ろすようにというジェスチャーに従って、外気が車内に入り込んだとたん、

ブリ母の先制攻撃、

「スピードそんなに出てませんでしたよね!」

そうなんです。警察だ、とわかったとき、一番初めにはスピード違反っ!?と思っていたのですが、通例どおりというか、制限速度を超えてはいるのものの、目に余るほどではないというか。いや、ブリジットは原則主義のところがありますし、なにより自分で運転しないで無責任ですが、

制限速度で厳密に取り締まるならば、徹頭徹尾取り締まれ、

と思うのです。でも、一般的にほとんどの車はみな制限速度超えてますよね。むしろ、守っていると後ろから「早くしろ」と急かされる。すべての運転者が制限速度を守るならば、私はハンドルを握ってもいいと断言しますが、実際はそうではない。

だから、私は運転しない。車の運転というのは、人々がみな交通規則を遵守するはずという共同意識において成立するものですが、私はそこまで信じきれない。というか、信じることができる人々が、この国に、いや世界に存在するということがアメイジング! 

車を運転する人は基本的に、”いい人”なんだろうなと尊敬し、仰ぎみていることよ。

それた話を元に戻すと、両親は安全運転志向で、常に「追い越され車線」の住人であるし、むしろ後続の車にイライラされてピタッとつけられたり、これみよがしに追い越されていくタイプ。

本日は、見晴らしのきく道路で前後の車列がまったくないという状況ながら、慣例速度くらいで走っており、間違っても100キロとか110キロとか一回も出していなかった。

でも、制限速度(ちなみに70キロ)を超えていたことはたしかだったので、「そうか、これでキップを切られることもあるんだ」と神妙になっていたところ、ブリ母のお見舞い、

「スピードそんなに出てませんでしたよね!」

が炸裂したのである。

たまげた、驚いた。だって、一応、否はこちらにある……んだよ。

すると、ヘルメットをかぶった警官が、

「うん、スピードはちょっと出てたけどね。今回は違反にすることまではしませんけど」

と言ったのである。これは注意のみで、お見逃しか!? そんなのあるのか!?

(ちなみにブリ母はこのとき、なにか言われたら、「ほかの人はもっと速い速度で走ってますよね。制限速度守ってたら意地悪されることもあります。スピード違反で取り締まる規準はどこにあるんですか!?」と訊くつもりだったらしい)

「違反にすることまではしない」。そういった警官は、ふと後部座席の父を見やると、

「でも、こちらシートベルトしていないでしょ? 1点減点しますね」

そこかっ、そこをしくじったのかっ _| ̄|○~

高速道路では、後部座席のシートベルト着用が義務付けられているの、ね。

でもって、今回、うちの父は一般道を通って寝てしまったときに、私たちが勝手に高速に乗ることに決めたので、シートベルトしてなかったんです。

まあ、救いはひと様にご迷惑をかける交通違反ではなかったこと。

と、ホッとしていたら、警官が「誘導するので、いったんインターチェンジの外に出て、そこでキップ切ります」という。けっこうおおごと。

すると、間髪を入れず、血相を変えたブリ母がいった言葉が凄かった。

「私いそいでいるんです。この娘(こ)を、この娘を、東京まで送り届けないとあかんのです!」

へ? へほ? 

と驚いたのは私ばかりではなく、警官も同じく、

「え、行く先は東京なの? でも、この車、山形から秋田方向へ向かってるよね?」

と疑念を隠さない。そりゃ、不審だわと思い、母の言葉を補足して説明する。

「今日、東京に帰るんで、酒田駅で降ろしてもらうんです」

身勝手なことをいわせてもらうと、この年齢になって、警官の前で「この娘」呼ばわりされるのは、恥ずかしいゾ☆ それに「いそいでる」は違反きっぷ逃れの言いぶんにはならないと思うゾ★

ブリ母が考えた必死の言いぶんは、一方で、いざとなったときに子を守ろうとする母親の底力というか本能的な迫力を感じさせました。頭に思い浮かんだのは、この何年かで母親になったブリジットの友人たちの顔、顔……。生涯、親は本当の意味で子離れは絶対できないし、その逆もしかり。ついでに男の人は死ぬまでマザコンだと思います。

さて、ブリ母の抵抗むなしく、インターチェンジ外の空き地で、すでに赤いアレをはずした覆面パトカーに並列駐車。運転席をみると、同じくヘルメットをかぶった若い警官が座っており、ヘルメットをかぶった二人連れの覆面パトカーにご用心とインプットする。

彼らはいわゆる「ねずみ取り」なんでしょうね。

でも、よくシートベルト無着用をみつけたなあ……。見張ってたんだなあ。

それとも、がら空きの高速で一台だけ走る車だったからそのうち派手にスピード違反するんじゃないか、と目をつけられたのかなあ。で、通例ではちょっとスピードが足りないけれど、って感じで止めてみたら、手ごわそうな運転席のおばさんから予期せぬ一撃をかまされた、という筋書きなんだろうか。

そう考えているうちに、ブリ母は先ほどの警官に連れられて、パトカーの後部座席に押し込められた。間近で目撃するとなかなかインパクト大な光景である。

ほどなくして、満面の笑みを浮かべながら、ブリ母は出てきた。

一点は取られた。けれど、それでよしとしよう、と思ったようである。

「今回の旅行、楽しくて。完璧~って感じだったから、幸せすぎて怖いなあと思っていたところだったから、これぐらいで、ちょーどいいわあ」

少女パレアナ的思考が全開である。

「パトカーの中で、警官のお二人に『あなたがたは制限速度守ってるんですか?』って聞こうと思ったけれど、やっぱり止めた」

官憲に怖じないブリ母。なぜか。

彼女がかつて「警官の娘」だったことも、影響しているのだろうか――。

(じいちゃんシリーズにつづく)

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そして、それは起こる

そして、それは起こる
さくらんぼ狩りを終えた一行は帰路に着くべく、駅と空港を目指して車を走らさせました。

といっても、私は運転せず、助手席でナビのナビという任務を遂行。父と母のハンドル争いは穏やかに熾烈で、いちど握ったら、なかなか譲りません。

特に父は極端に頑張りすぎてしまう傾向があるので、気をつけないといけません。

途中、道の駅に立ち寄り、「じゃあ、父さん休憩で、母さん交代」と中に入ると、ブリ母は「たのしいわあ、たのしいわあ」とルンルンで運転をはじめました。

時間がタイトになってきたので、山形中央自動車道を選択。よく空いた、気持ちのよい道路をスイスイいきます。

父はといえば、後部座席で目をつぶっております。やっぱり疲れてたんだ。

フロントガラスには鳥海山、ラジオからは「チェリー」が流れて♪さくらんぼ♪と歌っております。ふとサイドミラーを眺めてみると、

パ、パトカーが、

覆面パトカーが赤いアレ、ぐるんぐるん回して

後ろにぴったり着いてくるではありませんかっ!?(続く)

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